魅力的なマンションの情報を収集するブログ

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日本最初の鉄筋コンクリート造りのマンションは軍艦島の30号館

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軍艦島。正式名は端島と言いますが、この長崎にある小島は、無数の鉄筋コンクリート製の建物が乱立し、その異様な姿はまるで軍艦のように感じられるということで、いつしか軍艦島と呼ばれるようになりました。

この軍艦島はかつて5000人以上の人が暮らしていました。外周わずか1kmほどの小さな島にこれほどの人がなぜいたかというと、石炭が多く取れたからです。しかし、そんな小さな島に5000人分の家を一つ一つ用意するのは不可能です。

そこで考えられたのがマンションのような集合住宅でした。この形態であれば、5000人住むことも可能になります。こうしていくつか鉄筋コンクリート造りの集合住宅、現代でいうマンションが多く建つことになったのです。

軍艦島で一番最初に建てられた集合住宅は、1916年に建てられた、30号館で、グラバー邸のトーマス・ブレーク・グラバーと何らかの関わりがあるということで、通称グラバーハウスとも呼ばれている建物です。

高さは7階建てで、当時の日本の基準では相当高い建物だったはずです。ただ、日本初ということもあり、技術的にまだまだ未熟な部分も多く、それが原因で、当時の住人は相当苦労したそうです。例えば、屋上に排水溝がないため、雨が降ったとき、壁をつたって、水が部屋まで侵入したそうです。

こうして、この30号館を皮切りに、軍艦島にはどんどんコンクリート製の集合住宅が建てられていきました。しかし、そんな軍艦島の栄光も長くは続きませんでした。時代が移りかわるにつれ、次第にエネルギーの需要が石炭から石油に変わっていったのです。そして、とうとう1974年、その役目を終え、島の住人全てが退去することになりました。

ただ、島を立ち去る際は建物を取り壊すことなく、そのままの状態にしていました。そのため、全ての建物が廃墟状態になり、独特の雰囲気が形成されるようになっていったのです。現在は、廃墟ブームということもあり、多くの人が訪れ、また多くの人で賑わうようになりました。さらに2015年に軍艦島世界文化遺産にも登録され、それがより多くの人を引き付ける要因となりました。

ちなみに30号館ですが、未だ健在で、今もその姿をみることが出来ます。ただ、軍艦島の建物は自然崩壊したものも多く、この30号館もいつそうなるか、分かりません。今のうちに見ておくことをおススメします。